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2019.05.18

読書の意味とは

 皆さん、こんにちは。

昨今、インターネットの急速な発達で読書、新聞を読むという習慣のある人が減少していると統計的にもでていますし、僕個人もそのように感じています。その減少の理由の1つとしてスマートフォンを代表とするデジタルツールを使うことで情報を得ることができるからと言われる方もいらっしゃいますが、果たして読書はただ情報を得るためだけの行為なのでしょうか。そこで今回のブログは僕の考える読書の意味をお話しさせていただきたいと思います。

まず読書は情報を得るためのもの、という声に対してですが、僕も読書には情報を得るという効果はあると思っています。しかし、この情報を得るというのは読書の多くの恩恵の要素の1つに過ぎないと僕は思っています。そのように考えるようになったのはあくまでも僕個人のことですが、iBookなどの電子書籍を活用してみようと試みたときにどうも読んだ内容が紙媒体の本のときに比べてまるで入ってこないと感じたことがきっかけです。その経験からその日のニュース、出来事などの1次情報を知るにはデジタルはいいが、物事を学ぶという行為にはデジタルは決して適していないのではないかと僕は思うようになりました。では、この違いはなんだろうかと考えていくとデジタルツールは情報の公開だけど、読書は筆者との対話であると僕は思うようになりました。そう考えるたとき、読書の最大の効用は情報を得ることではなく、筆者との対話を通じて自分の中の考え方の引き出しを増やし、価値観の枠を広げていくことではないかと僕は思います。このように考えると本1冊1000円前後で筆者の貴重な体験や考えを教えてもらえるなんて、とってもお得だと僕は思いますが、皆さんはどうでしょうか。

最後に冒頭でも書かせてもらった新聞についての僕の考えを書いておきます。結論から言うと僕は新聞は読む習慣はつけるべきだと考えています。その理由は得る情報の偏りをなくすためです。インターネットなんかで情報を得るとどうしても自分の興味・関心のあることに偏ってしまう傾向があります。そのせいか、専門知識はとても詳しいのに幅がとても狭いなと感じてしまう人が増えているように最近感じています。

これからの人には専門性も大切とは思いますが、それよりも様々な価値観を受け止めれるだけの多様性を身に着けてほしいと僕は思っています。そのために読書を是非とも習慣化してほしいというのが僕の願いです。

R&R教育研究所 中村 淳志

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