ブログ
2021.10.22
目標を高くする理由
みなさん、初めまして。
今回から私曽根がこちらのブログの方を定期的に更新していこうと思います。
よろしくお願いいたします。
さて、何事においても終着点及び目標というものは大切です。多くの人は、何かをする際に目標を決めることで頑張ろうと思うことができると思います。もちろん受験勉強もこれに当てはまります。志望校を決め、その高校や大学等に合格するために頑張ると思います。今回は、その志望校や目標を高くする理由について、私が学生時代お世話になった日本史の講師の話をもとに述べたいと思います。
皆さんもご存知の三英傑の内の一人に豊臣秀吉がいます。彼は、織田信長の後継として、天下統一を成し遂げました。また、日本の領土拡大のために朝鮮半島への進出を試みました。しかし、その途中に無念にも病で命を賭してしまいました。また、彼の上司である織田信長は、天下統一を試みてその直前で亡くなりました。もし、それぞれが目指していたビジョンが、失敗した地点で考えると、ぞれぞれが目標の一歩手前で挫折していることになります。
話は現代に戻りますが、私たちの生活では、何事もうまくいった経験しかない人はごく少数で何かしら失敗した経験をしている人が多いと思います。しかし、人生で大切な時に失敗はしたくないと思う人は多いでしょう。その筆頭が高校・大学受験だと思います。では、どうすれば失敗しにくくなるのか。それは、「行きたい学校のランクを一段階あげる」ことです。どういうことか。先ほどの織田信長や豊臣秀吉のように教科書に載る偉人でさえ、自分の目標を成し遂げられませんでした。では、織田信長が天下統一は一つの通過点であり、実際の目標は朝鮮半島進出であったらどうか。また、豊臣秀吉が、朝鮮半島進出は通過点で中華進出もしくは東アジアで経済圏を作ろうと考えていたらどうか。もしかしたら、その時の史実は、今と変わっているかもしれません。つまり、自分の中の1番を目標と設定した場合、 2番目に落ち着くことが多いというのであれば、 2番目の目標に1番目の目標を持って来れば良いということです。大学受験で置き換えれば、国公立を目指すなら、東大あるいは京大。私立なら早慶上智をまずは目指して、勉強をするということです。実際にその大学に行ける人は少ないかもしれません。しかし、今自分が志望している大学よりも確実に上のレベルだと思います。その付近の学力が 2月、3月にあれば、受験が近づいた時に自分の希望した大学に行ける可能性が一段と高いと思います。
これから志望校を決める1、2年生、あるいはこれまで以上に勉強を頑張りたい3年生は、一つの参考にしてみてはいかがでしょうか。
R&R
2019.07.13
スマホやデジタルの功罪
皆さま、こんにちは。
1か月ぶりのブログになります。今日のブログでは保護者の方との懇談でも話題にあがったのですが、スマホやデジタル媒体についての僕の感じたことや考えをお話させていただければと思います。
スマホが爆発的に普及したのは僕の記憶している限り、2010年の前後だと思いますが、そこからの生活は大きく変化したという印象を僕は受けています。どういう変化だったかを一言でいうと何事も手間がかからずにすぐにできるようになったというのが僕の実感です。手間がかからずにすぐに様々な事ができると言えばとても便利になったという印象になりますが、これを手間がかからずにすぐに様々な快楽が楽しめると言えば皆さんにはどのように聞こえますか。大げさに書きましたが、スマホは一歩間違えると依存症になってしまうというデータが実際に出ていますし、実際にスマホがないと生活できないというようになったらこれはもう完全に依存症です。大の大人でもこのような依存症になるケースが多発しているこの状況で若い世代の人には是非とも普段の生活にスマホのない状態を意図的に作ることを意識してほしいと思います。そしてそれくらい意識しておかないといけないくらいスマホは怖いものであるという認識を持ってほしいと僕は思っています。
また、デジタル媒体についての僕の考えですが、若いときからデジタル媒体にどっぷりとはまり込むのは危険だと考えています。その理由としてはデジタルというのは2進数の世界、つまり0か1ですべてを表そうという世界です。簡単に言ってしまうと全てを白と黒で表せるという2極思考になりがちです。しかし、世の中は白か黒かで表せることの方がむしろ少ないくらいです。
スマホもデジタル媒体もとても便利なものです。しかし、何事もプラスの面があればマイナスの面もあります。だからこそ一歩間違えたらとんでもないことを引き起こすことになるというのは頭に入れておいてほしいと願っています。
R&R教育研究所 中村 淳志
2019.06.08
『配慮』という言葉を考える
皆さん、こんにちは。
最近、中間テストの関係で生徒たちに自習室を使う際に周りへきちんと『配慮』する行動をするようにと言うことが多いのですが、今日は『配慮』とはどのようなものなのかをブログを通じて皆さんと共に考えていけたらと思います。
まず僕の考える配慮というのは自分のされて嫌なことは相手に対してもしないというものでした。しかし、最近ある本を読んでいると、この自分のされて嫌なことは相手に対してもしないという考え方はある意味で自分の考え方や価値観の押し付けになっているのではないかと考えるようになりました。よくよく考えてみると、されて嫌なことというのは人によって全然違いますし、ましてや習慣や文化が異なれば、持っている常識も異なります。では、『配慮』ある行動をするためには何を基準にして考えていけばいいのだろうかと考えていくとまずは共通のルールやモラルの周知、徹底がまずは大切になってくるのではないかと僕は思います。このルールやモラルというのをきちんと守り、その中で合理的行動を心掛けるのが配慮なのではないかと最近、僕は思います。
今回、『配慮』という言葉について考えてみましたが、皆さんの考える『配慮』の定義とはどのようなものでしょうか。今まで何気なく使っていた言葉も時代に応じて捉え方には変化が生じます。これからの時代で大切なのは変化に対して柔軟に対応していくことではないかと僕は思います。
R&R教育研究所 中村 淳志
2019.05.18
読書の意味とは
皆さん、こんにちは。
昨今、インターネットの急速な発達で読書、新聞を読むという習慣のある人が減少していると統計的にもでていますし、僕個人もそのように感じています。その減少の理由の1つとしてスマートフォンを代表とするデジタルツールを使うことで情報を得ることができるからと言われる方もいらっしゃいますが、果たして読書はただ情報を得るためだけの行為なのでしょうか。そこで今回のブログは僕の考える読書の意味をお話しさせていただきたいと思います。
まず読書は情報を得るためのもの、という声に対してですが、僕も読書には情報を得るという効果はあると思っています。しかし、この情報を得るというのは読書の多くの恩恵の要素の1つに過ぎないと僕は思っています。そのように考えるようになったのはあくまでも僕個人のことですが、iBookなどの電子書籍を活用してみようと試みたときにどうも読んだ内容が紙媒体の本のときに比べてまるで入ってこないと感じたことがきっかけです。その経験からその日のニュース、出来事などの1次情報を知るにはデジタルはいいが、物事を学ぶという行為にはデジタルは決して適していないのではないかと僕は思うようになりました。では、この違いはなんだろうかと考えていくとデジタルツールは情報の公開だけど、読書は筆者との対話であると僕は思うようになりました。そう考えるたとき、読書の最大の効用は情報を得ることではなく、筆者との対話を通じて自分の中の考え方の引き出しを増やし、価値観の枠を広げていくことではないかと僕は思います。このように考えると本1冊1000円前後で筆者の貴重な体験や考えを教えてもらえるなんて、とってもお得だと僕は思いますが、皆さんはどうでしょうか。
最後に冒頭でも書かせてもらった新聞についての僕の考えを書いておきます。結論から言うと僕は新聞は読む習慣はつけるべきだと考えています。その理由は得る情報の偏りをなくすためです。インターネットなんかで情報を得るとどうしても自分の興味・関心のあることに偏ってしまう傾向があります。そのせいか、専門知識はとても詳しいのに幅がとても狭いなと感じてしまう人が増えているように最近感じています。
これからの人には専門性も大切とは思いますが、それよりも様々な価値観を受け止めれるだけの多様性を身に着けてほしいと僕は思っています。そのために読書を是非とも習慣化してほしいというのが僕の願いです。
R&R教育研究所 中村 淳志
2019.04.27
平成から令和へ
皆さん、こんにちは。
久々にブログを更新します。
今日は元号が平成から令和になるということで平成とはどんな時代だったのかというのを僕の体験を通じて振り返っていってみたいと思います。
僕は現在30代なので平成という時代とともに人生を歩んできましたが、その中で平成という時代を振り返ってみると一言で言うなれば『変化のとても大きな時代』というのが僕の印象です。説明するのが難しいのですが、学生時代の90年代後半、社会人になったばかりの00年代、そして現在の10年代で考え方や価値観、生活がガラッと変わっていったという感じです。例えば生活についての変化で言いますと、90年代にはほとんど普及してなかった携帯電話が00年代ではみんなが持っているのが当たり前になり、図書館で調べないといけないことが10年代からはスマホで調べれば事足りるようになったというのが挙げられます。こうやって生活の一部分を振り返るだけでもすごい変わったなという実感が改めて思います。
あと数日すると平成が終わり、令和という時代が始まります。令和という時代がどうなるかは僕なんかでは予想もできません。ただ、東日本大震災があったあたりからコミュニティや共同体の考え方が見直されてきたと僕は感じています。だからこそ生徒たちには周りの人達への配慮と感謝を大切にできるようにはなってほしいと思っています。そして令和は和というものを大切にしていく時代になっていってほしいというのが僕の願いです。
R&R教育研究所 中村 淳志
2019.03.29
悲観と否定
皆さん、こんにちは。
入試関係のことでバタバタとしていたため1か月ぶりにブログを更新させていただきます。
今日は前回のブログで楽観と悲観の話をさせていただきました。今回は悲観と否定という同じようなニュアンスの言葉なのですが、その思考の中身は別物であると僕は考えています。その根拠をこれから綴っていきたいと思います。
まず悲観についてですが、これは『物事は思い通りにはいかない』と最初から疑ってかかる思考であると僕は考えています。別の言葉で言い換えると『あらゆる可能性を可能なかぎり考える』ことであるとも言えると僕は考えています。だからこそ、前回のブログでも僕は悲観的になることは決して悪いことではないと書かせていただきました。これに対して否定は『~ではない』や『~はダメ』という禁止の意味合いになると僕は考えています。このことから否定的になってしまうと禁止の連続なので、前向きに何かに取り組もうとする意欲が失われてしまいます。このことから僕は否定的な物言いや考え方はやるべきではないと考えています。特に自分自身へ否定的になってしまうと一気に自信喪失につながってしまいます。
今回このようなテーマでブログを書かせてもらったのは塾の生徒もそうですが、若い世代の人で悲観と否定を同じように捉えているような感じを受けたからです。悲観はあらゆる可能性を考えてその対策も考えるという言わば前向きな思考に対して、否定はもうダメだとあきらめてしまい行動しなくなる言わば後ろ向きの思考です。ですので、若い世代の皆さん、否定的思考はやめて、物事を悲観的に捉えてあらゆることに対応できるように日々できる限りの準備をすることに集中していってもらいたいのが僕の願いです。
R&R教育研究所 中村 淳志
2019.02.23
楽観と悲観
皆さん、おはようございます。
久しぶりのブログになってしまい、申し訳ございません。
今日は楽観と悲観についての僕の考えをお話させていただこうと思います。まず楽観と悲観についての一般的な傾向として『楽観』は前向きな思考、『悲観』は後ろ向きな思考という捉え方をされる印象があります。そのため楽観=ポジティブ、悲観=ネガティブという風に捉える方もいると思います。よって悲観的にならずに楽観的にいこうという考えが流行したのですが、悲観的な思考をやめようというのは違うのではないのかというのが僕の考えです。僕は悲観とは『物事は予測や予定通りにはいかない』と考えることであると思っています。言い換えれば悲観的な思考というのは想定できるあらゆる可能性に対しての対策を講じる思考であり、楽観というのは悲観的な思考を重ねに重ねて、もう悲観する事が考えられないとところまでいって初めて出てくる思考であると思っています。ですので、ただ楽観的にいこうというのは何も対策をせずに本番を迎えようとする危険な行為のように僕には感じられます。僕がもともと心配性なところがあるからこのように思うのかもしれませんが、これまでの自分の行いを振り返ってみても、なんとかなるだろうと思っていたことはだいたいのことは上手くいかなくて、大変なことになると思って対策を講じたものは思ったほど大変なことにならなかったというケースがほとんどです。
この悲観という準備を重ねに重ねるうえで初めて楽観という安心につながるというのはあくまでも僕の考えです。ただ、特にこれから受験や学年末試験を迎える生徒の皆さんに伝えたいこととしては悲観的に考えてしまうのは決して悪いことではないのだということです。不安を感じたのであれば可能な限りその不安に対しての対策を講じることに集中していってほしいというのが僕の願いです。
R&R教育研究所 中村 淳志
2019.01.18
面接とは
皆さん、こんにちは。
受験のシーズンも本格的に始まってきて学校によっては面接を課すところもあります。今回は面接を受ける生徒たちの参考になればと思い面接というものについての僕の考えをお話させていただければと思います。
タイトルにもしていますが、面接とはどうしてするのでしょうか。面接することでどういったものが見てみたいと面接官の方は思っていらっしゃるのかという事を考えてみましょう。僕が面接官ならその人の人間性を見たいと思います。これは僕だけではなくほとんどの方もそうではないかと思います。ですので、あらかじめ聞かれたことに対する答え方をマニュアルみたいにしすぎるのはかえって自分の気持ちが相手に伝わりづらくなってしまうと思います。これではこの人は本音を話してくれないという印象を面接官の人に与えることになります。ですので、ありきたりですが面接においては自分の思いを自分の言葉で伝えることを何よりも大切にしてほしいと僕は思います。上手くしゃべろうと考えるよりも自分の正直な思いを伝えることを是非とも意識していただきたいと思います。
最後に面接とはいったいという問いについての僕の考えですが、ずばり面接とは双方向の会話であると僕は思っています。会話と思っていますので面接のポイントは①きちんと話を聞いて、②正直にありのままを、③自分の言葉で話す、ことに尽きると思います。このことがこれから面接にむかう人たちに少しでも役に立てば幸いです。
R&R教育研究所 中村 淳志
2019.01.11
やりたいこと、できること、そして、必要とされること
皆さん、明けましておめでとうございます。
おかげさまで無事に新年のスタートを切ることができました。今年もよろしくお願いします。
今日のブログのテーマにさせていただいた『やりたいこと、できること』は年始のテレビ番組での林修先生のお話から、『必要とされること』は先日、広島東洋カープに人的補償で移籍することになった長野久義選手のコメントから引用させていただきました。このお二人が話されていた内容がこれから社会に出ていく人、仕事について悩んでいる人にとても参考になると僕は感じましたので、お二人がどういう話をしたかを書かせていただきたいと思います。
年始の林修先生の出演された番組で林先生が高学歴であるが現在は企業に勤めていない若者たちに授業をするというコーナーがありました。このとき林先生は若者たちに『やりたいことは偶然、できることは必然』という言葉を送っていました。そして、やりたいこと、やりたくないことで決めるのもいいけど、できる、できないという見方も考えてほしいというメッセージも若者たちに送っていました。ここからはこの番組を見させていただいた僕の感想になりますが、やりたいことかつできることをすれば確かに最高です。きっと生き生きと毎日を過ごせると思います。しかし、あんまりやりたくないけど、周りからみたらできると思われているからやるというのも大切なのではないかとも思いました。これをやることで周りは感謝をしてくれます。感謝を得るというのも一つの充実ではないのかと僕は思います。
もう一人の長野選手のコメントですが、移籍が決まって第一声に『必要とされることは選手冥利に尽きます。』とコメントしていました。長野選手はドラフトで2度入団拒否をしてまで読売ジャイアンツに入団した選手です。これは僕の想像になりますが、きっと不満はあったと思います。にもかかわらず、そのことを少しも態度に出さずに必要としてくれたところで最大限やるというコメントをしたのはすごいの一言に尽きます。自分が好きな場所から突然異動しなくてはならなくなったことを想像してみてください。想像してみていただけると今回の長野選手の言動が本当にすごいことだと思っていただけるはずです。
最後に我々教育に携わるものは生徒たちと進路についての話をさせていただくとき『やりたいこと』についての話が中心になります。その結果、生徒たちも『やりたいこと』を考えます。もちろん自分が何をやりたいのかを考えるのは重要です。ただ、社会にでると『できる、できない』という軸で考えることもあるということを知っておいてほしいと僕は思っています。『やりたいこと』をやり続けることは最高だと思います。ただ、『必要としてくれるところで自分のできることを精一杯やる』ことも素敵なことではないかと僕は思います。皆さんはどう思いますか?
R&R教育研究所 中村 淳志
2018.12.28
小さな変化の積み重ねが大きな成長につながる
皆さん、こんにちは。
今年もあとわずかになりました。4月の当塾のオープンから皆様のおかげで2018年もやっていくことができました。誠にありがとうございました。タイトルで書かせていただきましたが、オープンからここまでの生徒達の様子を振り返っていくことで今年の最後のブログにしたいと思います。
この1年を振り返ると、子どもの成長は僕の想像なんかでは測れないなという思いです。日々の変化としては『目を見て話を聞けるようになった』、『勉強した後、机をきれいにするようになった』、『字を丁寧に書くようになった』、『本や新聞を読むようになった』というような本当に小さなことですが、時間の経過とともにそれらのことが積み重なってくると本当にビックリするくらいの成長となって表れました。小さな変化とともに得た自信が集まると人は劇的に成長するのだと生徒達から僕も学ばせてもらったという思いです。これから先、生徒達がどんな成長をしていくのか、とても楽しみなのですが、きっと僕の想像なんかでは測り切れないんだろうなという思いも同時にしています。そして計り知れないからこそ生徒達の可能性を見ていきたいという気持ちです。来年も可能性に挑戦していく生徒たちの力になれるように僕も精進していきます。
それでは皆さん、よいお年をお迎えください。
R&R教育研究所 中村 淳志
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